三内丸山の円筒土器

 円筒土器は、その名前のとおり円筒型の土器で、表面には縄を押し付けたり転がして縄文が付けられていた。

 土器の用途については、貯蔵具や煮沸用の鍋として用いられたと考えられるが、縄文時代中期になると、浅鉢型などの食器が多くなる。その点からみると、円筒土器が多量に出土することは、それらの用途が煮沸具であると考えると、ドングリ類などの食料加工が盛んに行われていたことを示している。

 津軽海峡を挟んで北の北海道西南部と南の東北地方北半部には、縄文時代前期(約6.0005.000年前)と、中期(約5.0004.000年前)に多用された。

 前期に属する土器を円筒下層式土器、中期の土器に円筒上層式土器と呼び、さらに10型式余りに及ぶ細分化されている。

 この円筒土器は分布範囲が広大で、円筒下層式土器は北海道石狩川流域を北限とし、南は岩手県中央から奥羽山脈を斜めに横切って男鹿半島北部に及び、その一部は日本海に沿って南下し、遠く能登半島にまで達している。

 円筒上層式土器は北限を更に北上して、大岬から礼文島において見られ、南は太平洋側で馬淵川流域の岩手県北部から西へ進み、八郎潟を経て男鹿半島に及ぶ範囲であり、一部は岩手及び秋田県の南部から海を越え、山形県酒田市沖の飛島でも発見されている。

円筒上層式土器のスライド写真 円筒下層式土器スライド写真