三内丸山遺跡復元大林組プロジェクトチーム

古代遺物・遺跡のスライド写真集

  三内丸山の期間は、今から5500年前から4000年前までの、実に1500年間の長きにわたる。

 1500年間と簡単に言われるが、現代の20世紀末から遡ってみると、5世紀後半に至ってしまう。(即ち、飛鳥時代以前の古墳時代)わが国ばかりではなく世界中を探しても、1000年以上の古代から今日まで存続し続けている都市は稀で、大変長い期間営まれたのである。

 戦争のような大規模な争いはなく、ごく少ない人口に対して豊かに変化に富んだ動植物の食べ物に恵まれ、気候が温暖であった為に、これほどの長い年月の営みを維持出来たのであろう。

 縄文時代の始まりから、私たちが生きる21世紀の始まりまでの期間を仮に100%とすると、そのうちの83%を縄文時代が占めることになる。明治から現代までが僅かに1%に過ぎないことを思うと、その1万年の長いながい季節の中で、今では呼び返すことすら出来ない多様な文化の数々の花を咲かせていたのである。彼等の1500年という時間の長さは、今まさに21世紀の扉を開けた私たちにとって、実に西暦3600年の後にいたる時間の量であると、考えると気が遠くなりそうな思いにかられる。

  三内丸山の集落は、海に臨む丘の上にあったのである。

 この辺りは一帯は昔から三内と呼ばれてきた。サンナイとは、アイヌ語で、“山(後)から海(山)へ開けた川”と言うほどの意味だそうで、もしこの地の呼び名がアイヌ語源であるならば、まさしくその地理的条件を言い表してもいる。

(歴史的な建造物の「想定復元」「季刊大林」よりの一部で「大型掘立柱建物」での三内丸山遺跡と古代の出雲大社で採用させて貰いました)

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