小牧野ストーンサークル・青森県


古代蝦夷と縄文思想


   環状列石は、丈の低い石垣のように見えるが、縦・横の河原石の配置が繰り返されている。細長い河原石(立石)を、或る間隔を置いて縦に埋め込み、立石の間に平らな河原石を3〜4枚重ねている。立石の上にも丸みのある河原石を重ねるような手順を繰り返しているのである。膨大な時間と労力をかけ、その時代の先端的な土木技術を駆使して造られており、縄文人の組織力を見せ付けるモニュメントでもある。
   斜面を平坦にするように土地造成の後、付近の川から運ばれた約2400個もの自然石によって作られ、直径3.5m、2.9、2.5mの三重の輪から構成されている。縦横に石垣状に組まれ、「小牧野式」とも呼ばれ全国でも類例が少ないが、伊勢堂岱遺跡がこの現状が見られる。三重構造の環状列石の他に土器棺墓・土抗墓・貯蔵穴・捨て場・道路等が見つかっている。かなりしっかりした設計図を描く技術者や人を働かせるための指導者(土器棺墓?)がいたと思われる。
   小牧野遺跡の環状列石の内側と外側の間から再葬土器棺墓が三つ見つかっている。これは、一度土葬した遺体を掘り出して人骨となったものを甕棺土器に入れ、再葬したものである。 これは甕棺土器を母の胎内に見立てて、死者がもう一度生まれ変わって欲しいと願いを込めて埋葬したものだと言われる。ムラムラの人々は年に何回かこの小牧野の風景の地に集まり、男女が入り乱れて歌い、踊り、食べ、飲んで夜の更けるのも忘れた。それは祖霊の祭りであり、収穫を祈る祭りであったようだ。

現地説明会配付資料

はじめに

 小牧野遺跡は、青森市野沢字小牧野に所在し、今から約4,000年前の縄文時代後期前葉の環状列石をシンボルとする遺跡です。 環状列石は、石に願いを込め、多くの石で輪のように並べられたもので、ストーンサークルとも呼ばれています。これまでの調査で、環状列石やその周辺から墓が見つかっていることや、祈願や呪術に使用されたと思われる遺物も多く出土していることから、環状列石は、墓の機能も含めた「葬祭の場」あるいは「祭祀の場」と考えられます。 今年度は、小牧野遺跡の内容解明を目的に、8月19日から10月19日まで発掘調査を実施しました。

検出遺構

 今年度は、環状列石の東側に2箇所の調査区域(464・)を設定し調査するとともに、昨年度調査した区域の竪穴住居跡の一部および建物跡の精査を実施しております。

 検出した遺構は、10月19日現在で、1 竪穴住居跡…………………1棟      2土坑・土坑墓………………29基  3 焼土遺構……………………3基      4(仮)粘土遺構………………2基   5 柱穴………………………26基        うち、建物跡として想定されるものが最低でも2棟)                     6集石遺構……………………1基     などが確認されています。 いずれも、環状列石の構築時期である縄文時代後期前葉に所属するものと考えられます。

出土遺物

 遺物は、現在までに、土器、石器、土製品、石製品あわせて、ダンボール約50箱分出土しています。今回の調査では、土坑(おそらくは土坑墓)の中から完形品の壷形土器や浅鉢形土器の完形品が比較的多く見られます。また、1つの土坑から、砂がびっしりと詰った土器や砂が混入した粘土塊(半焼成あるいは生焼けの状態)など、土器製作に関わる遺物も出土しています。石器については、石鏃や石箆、石斧が目立ちました。また、石皿や砥石などが一つの土坑から出土した例も見られます。    土製品や石製品については、土偶や鐸形土製品、岩版類、装飾品等が出土しています。中には、土坑(おそらく土坑墓)の中からクマをかたどった土製品も出土しています。 とくに、本遺跡の最も特徴的な遺物である三角形岩版の出土が多く(ほとんどが破損品)、有孔石製品と称される装飾品も目立ちます。  いずれも、土坑群周辺からの出土が多く、土坑の中から出土する事例は少ないようです。 おそらく石器などとともに墓上に置かれたり、墓前での儀礼の際に使用されたりしたものと思われます。(青森市教育委員会文化財課提供)(抜粋)

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