東北の遺跡 ストーンサークル
   「無限の往復を語る縄文遺跡」(ストーンサークル)縄文人にとっての全ての生きとし生けるものの霊は、この世とあの世の間の無限の往復を続けるものであった。秋田県大湯ストーンサークル(環状列石)の下が墓になっている場合がある。その墓に手足の折りたたまれた屈葬の死体が入っていて、その死体の頭の所に、底に穴が開いた甕を逆さに置かれている。これは人間の魂が屍から脱して、天の一角にあるという、あの世へ行くことを意味しているのであろう。その魂が、もとの体が恋しくて返ってくると困るので骨を折って屈葬し、もう返ってきても駄目だということを魂に知らせるのであろう。それで、魂は死体の頭の上に置かれた甕の穴を通じて天に昇っていったのであろう。丁度、その上にストーンサークルがあるのだが、これは恐らく、天の一角にあるあの世へ行った魂が再びこの世に帰ってくることを示そうとしているのであろう。あの細長い石を横に放射状に並べ、その真ん中に直立する細長い石を置いた形は明らかに男女の性器の結合の姿を示している。ストーンサークルは、そういう縄文人の生と死の哲学を見事に造形的に示したものであるといえる。大集落は中期の末に姿を消し、その後は小規模な集落が増えて行きます。これは大集落が分散して、小集落化したことを示すと考えられ、その原因は気候の寒冷化による食料の減少、ムラが大きくなり過ぎたことによる環境衛生・社会面での破錠、であると推定される。この頃から環状列石等の大規模な記念物が出現するのです。分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。縄文時代の遺跡にはセックスを象徴しているものが沢山あるが、ストーンサークルは、まさに男性器と女性器が結合している状態を表している。即ち生産を表しているのではないかと思う。死という行為で、一旦あの世へ行った魂が再びセックスによって、子供を作って、この世に生まれ代わってくるようにいう、死と生の象徴、死という事実の中で、やはり再生を願う縄文人たちの心が、ストーンサークルになったのだと思う。そして、ストーンサークルの周辺の土は、非常に固くなっており、何度も何度も踏み固められたとしか思えないという説を聞いた事があるが、恐らく、縄文人は魂を迎えたり、送ったりする時に、ストーンサークルの広場で、カガリ火を焚き、踊りを踊ったに違いない。それが恐らく、縄文の宗教だったのであろう。
                                             (梅原 猛著抜粋)

現地説明会資料

 大湯環状列石は、万座・野中堂環状列石を中心とした、今から4,000〜3,500年前の縄文時代後期の遺跡です。万座・野中堂環状列石ようなとても大規模なものは大きな労働力と長い年月をかけなければ作り上げることができません。それらを作り上げることができた縄文時代には、それを支える豊かな生活力と文化力があったからということが環状列石の発見により示されました。
 そして、その貴重さから昭和31年に国の特別史跡に指定されました。
 以来、考古学者を初めとする多くの人々の注目を集め、様々な研究がなされ、現在では、環状列石を中心とした大規模な「まつりの場」として、訪れろ人々に感動を与えています。
 鹿角市では、これらまでの多<の研究と調査成果をもとに、平成10年度より環境整備事業を行っております。年々遺跡の姿が縄文時代のやさしい雰囲気に近づいてきています。

調査成果
【調査した場所とみつかった遺構】
 今年度は、野中堂環状列石西・南・南東側隣接地を調査しました。調査では柱穴状 ピッ卜231個、建物跡4棟、配石遺構1基、配石列1条、竪穴住居跡2棟、石囲炉2基、焼土遺構34基、フラスコ状土坑(貯蔵穴)33基、土坑59基、Tピット(陥し穴)1基、土器埋設遺構1基がみつかりました。

 柱穴状ピットと建物跡
 柱穴状ピットとは、建物の柱を立てるために掘られた穴です。環状列石の周囲でみつかり、列石外帯から約13mの範囲内でみつかることがわかりました。
 これらたくさんの柱穴状ピットをよく観察すると、同じ大きさや深さの規模のものがあることがわかってきました。それらを結ぶと六角形や四角形の柱配置の建物になることがわかりました。その他、ちいさな柱穴状ピットが円形に配置された建物もあることがわかりました。今年度の調査では、4棟の建物跡がみつかりましたが、今後の分析によってこの数は増えると予想されます。
 これらの建物跡は、炉が伴わず生活に使われた遺物等もみつからないことから、住居ではなく、「まつり」の儀式のために使われたものと考えられています。

 配石遺構
 配石遺構とは、色々な形に石を人工的に配列したものをいいます。調査では野中堂環状列石南側の台地縁辺部で1基みつかりました。川原石や礫を径8mの環状に巡らし、南側に直線状に石列があります。また、一部には組石遺構もみられます。
 確認された土の面から万座環状列石周辺でみつかっている「環状配石」と呼ばれているものと同じ時期に作られていることから、「環状配石」と同じような、「まつり」のために作られたものと考えられます。

 配石列
 
配石列は、石を列状にならべたものです。環状列石北東側でみつかりました、今年度ば1条しかみつかりませんでしたが、未調査区の北側にもう1条みつかるものと考えています。環状列石という「聖域」への出入り口部と思われます。

 竪穴住居跡
 竪穴住居跡は人が住んだ縄文時代の家です。調査てば2棟みつかりました。2棟は床面に置かれていた土器や土器破片から、それぞれ違う時期につくられたことがわかりました。環状列石南東側のものは、列石と同時期につくられたものです。南東側では1棟しかみつかっていないことから、環状列石周辺には住居群がない可能性が高まりました。
 このことから、「まつり」を行うひとが利用した可能性が考えらられます。
 北東側でみつかっている竪穴住居跡は、環状列石より新しい時期につくられたもので、環状列石を作り終えた後もまつりが行われていたことを伺わせます。

 土坑
 遺跡でみつかる用途不明な穴のことを総称して土坑と呼んでいます。楕円形や円形等その形は様々です。調査では環状列石の周囲からみつかっています。今年度の調査ではこわれていますが、1個体の土器が出土している土坑もみつかっています。

 石囲炉
 
石囲炉は屋外につくられた火を焚く炉のことです、通常の遺跡では、細長い川原石を円形に並べるものが多いのですが、環状列石周辺でみつかるものは、円形にならぺたものに三角形状の石で張り出し部を作るものもありります。みつかったうちの1基にはその張り出し部分の近くに、土器が置かれてありました。

 焼土遺構
 
焼土遺構とは石囲炉とは別に、地面に残された火を焚いた跡のことです。調査地の南側で見つかりました。おそらくこの場所では、「火まつり」が行われていたものと思われます。

 調査成果のまとめ
 調査成果をまとめるとつぎのとおりです。
1 野中堂環状列石も万座環状列石と同じように、周囲に建物跡や出入り口部分があることがわかりました。
2 野中堂環状列石周辺でみつかる遺物が、万座環状列石でみつかったものと同じ時期に作られたものであることがわかりました。
3 南側出入口部分の先に火まつりが行われた跡や、野中堂環状列石より新しいと思われる配石遺構がみつかりました。このことから環状列石の出入口方向に、野中堂環状列石と関連する遺構が分布することがわかりました。
4 以上のI〜3のことから、万座環状列石と野中堂環状列石は同時期に作られた可能性が高くなりました。
5 みつかった竪穴住居跡が少ないことから、環状列石周辺に環状列石を作った人たちの住居群がないことがわかりました。また、竪穴住居跡のうち1棟が環状列石より新しい時期に作られていることから、環状れつ石を作り終えた後も、この場で「まつり」が行われていたことがわかりました。
(抜粋)
鹿角市教育委員会(2000年11月4日/2001年8月再掲)

大湯遺跡・万座配石

大湯遺跡・野中堂配石

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